そのⅠ サルのぐうたら山菜ノート
春だ。山野が、うまそうな鮮緑で埋まってきた。で、サルのぐうたらシリーズ第一弾は山菜入門。調理の要らぬぐうたら山菜利用術入門。
山菜の入門には、即席ラーメンに手当たり次第野草を放り込んで経験を重ねることが上達の近道である。王道かもしれない。なにより手間がいらぬ。調理の必要が無い分レパートリーは急激に広がる。入門の極めつけ手段となる。しかも、そこはかとなく非日常の世界であり、ものによっては卓絶した野草ラーメンができあがる。
野草は天ぷらにすると、たいてい何でも旨い。これが災いする。どの山菜も味が一緒になって、本来の持ち味を体感できない。持ち味の十色を見損なうことになる。ラーメン投げ込み方式はその点優れている。それぞれの個性を確かめながら食うことができる。必要なのはあく抜きなどの調理技術ではなく、種の同定能力だけである。何でも、毒もの以外はそれこそ何でも入れてみる。
・・・が、初心者向きはある。まずは、レンゲか。土佐の1月はもうレンゲである。
地球温暖化の影響か近頃とみに早い。たんぼの隅の萌え始めを、あの塊(かたまり)をわしずかみにして放り込むのだからワキャー無い。この草は、サラダやおひたしにしてももちろん問題はない。緑肥植物だけあって、なにやら濃い味がする。牛に喰わすのはもったいない。マメ科のものは、この他にもいけるものがたくさんある。海辺ならハマエンドウ、畑地ならカラスノエンドウ、山辺ではナンナンハギ、量を一度に確保できるのは藤の花。それなりにこくのある味が出る。マメ科は、毒草はクララくらいで、安心して放り込める。入門にはもってこいのグループである。
1月は山にまだ山菜はない。いき易い家の近所で楽しむこととなるが、これの筆頭がナズナである。いわゆるペンペングサだ。そしてスカシタゴボウにタネツケバナ、クレソンとアブラナ科のお世話になる。(アブラナ科にも毒のあるものはほぼ無い)これにアカ&シロザとヨメナを加えたものがこの時期のべスト6である。いずれもそのままラーメンに放り込む。この時期注意を要するのが、ケマンの類である。見た目にはとてもうまそうで魅力的に萌えている。
友人Oは、うまそうなものを採ってこいと野に放したら、ムラサキケマンをいっぱい採ってきてラーメンに入れようとした。毒だとものの本に書いてあるが、食ったことがないので症状はわからぬ。得体の知れぬ恐怖である。
次いで、入門にはキク科が良い。
そもそもキク科のものとシダの仲間に毒草はない(ようだ)。味が過ぎる物はあるが、死にやあしない。自分で試してみることだ。キク科の優れものは、タンドホロギクとベニバナホロギクである。ラーメンにはぴったしの味と歯触り。そこらあたりにあまねく存在するのがまたいい。キク科の魅力は苦味が香ることであろう。舌と鼻の両方で味わえる。その代表格は蕗である。早春の蕗の壷を一かけらほぐすように放り込めば、野趣たっぷりの別世界が広がるのはラーメンばかりではない。ヨメナやノコンギク、イナカギク、シロヨメナなどは、山菜面では区別の必要はない。4、5枚葉のでたころを摘んでそのまま放り込む。この仲間も、味と香りが良くて何処にもある点で重宝する。
三嶺などの山頂付近で便利なのが、アキノキリンソウである。山菜らしき物が何もない笹原の小道でも、これだけは生えている。ありがたい。見晴らしのいい山頂で、キク科風味のラーメンは格別の味がする。
山頂ラーメンでの最大の失敗は、綱附森の山頂で、さあ一湯が沸騰したというところで、肝心のラーメンが無い。リックの底までかき回したが無い。双方が相手が持ったものと、車に忘れた。責任をなすりあい荘然自失。時あたかも隣組では、葱を忘れたと大騒ぎをしている。葱くらいで騒ぐな。こちらは力を失って声も出ない。その日はアキノキリンソウの白湯味スープで、午後の体が異常に重かった。いずれにしても、必ず何か忘れている。マッチか箸かコンロかボンベか鍋など、が、借りるとかで何とか食にありついてきた。この日のきつい体験で以後は、ラーメン本体を忘れることはなくなった。
話を元に戻そう、高知ではあまり利用しないモミジガサもキク科である。あくが無いから何の手間もかからず、放り込むにもってこいの山菜である。海辺でのツルナもあくが無い。ソバナやオトコエシもそのまま其になる。カンゾウの類も色々あるが、どれもすぐ利用できる。要は好奇心である。
最後にラーメン方式で忘れてならないのがスイバである。梅干しラーメンなるものを何処かで聞いたことがあると思うが、スイバを入れるとまさに梅干しラーメンになる。こくのあるあっさりラーメンになる。入れ過ぎに注意がいるが、癖になる。はまってしまう。シュウ酸のさわやかな味がする。さて、手間要らずの入門第二軍はサラダである。この分野に出てくるものは、もちろんラーメン方式にしても大いにいけるが、やはりサラダでの清例、鮮明な味を体にたたき込みたい。サラダで喰えるものはとにかく便利である。醤油とマヨネーズを忍ばせておけばコンロや鍋などややこしい装備は一切不用で、ぐうたらの本領を発揮できる。
サラダでうまいのは、タネツケバナ。それも大型の山タネツケバナという種類が絶品である。和製のクレソンというふれ込みだが、クレソンとは味の清例さにおいて比較にならぬ。滋味である。ステーキの添え物でピリカラ味で、清流の妖精のように思える。
ところで、ピクニック料理にもっとも適した料理がステーキである。肉は、赤牛か黒牛かを問わず土佐ものがよい。調味料は佐賀の塩を薄くまぶすのみでほかは一切使わぬ。調理は僅か一分、焼け具合はたたき風。これをつまみに赤ワインをたっぷり飲んでお昼寝という具合。できればみんなが仕事をしているウイークデーが気分が良い。極楽極楽、自分の人生もまだ捨てた物でないと実感できる。飲酒ピクニックだから場所は自宅からタクシーで一番近い雑木林ということになる。季節は早春に限る。トサミズキの頃である。この時期棚田は一面のタネツケバナである。聖山のき麗な水の水路を覗くと必ずあるからワキャー無い。
登山の食材に便利なサラダ軍団は、ツルアジサイ、イワガラミ、マユミ(ツリバナ、コマユミも)、ミツバウツギ、タカノツメ、ギボウシ類、ワサビの花の7種である。どれも澄明な青い味がする。これに酢ものでスノキの新芽とイタドリが加わる。シオデやカタクリもサラダで十分いけるが、土佐の山野ではあまり見かけない。別格は、平凡だがガレ場に埋もれたウドのその場サラダであろう。このサラダ方式の妙諦は、その場で間髪をおかず食らうことである。
家に採って帰ってからの山菜サラダは存在しない。新鮮と山の空気が決め手となる。これらの味は俗界の塵埃にまみれた我々の舌を瞬時に蘇生させてくれる。
森の案内人としては必須体験事項である。
さて、第三章は天ぷらとなる。先に少し書いたが、これはもう何でもありの世界である。これまで出演したキャストは無論、苦み、ぎと味、えぐ味、辛味、悪臭、不純物、あぶら虫や病原菌など、強烈な個性を閃光する者、頑迷固恒、天下無双の強者ども、どれが来ても天ぷら方式はひれ伏させてしまう。これが目に入らぬかの天ぷら御紋である。ただ、この方式でも奥義はその場で喰らうことにある。そして、天ぷら粉をりぐってはいけない。卵なんぞ入れるのはもってのほか。天つゆもいけない。ころもはうどん粉だけ、調味料は醤油だけが鉄則。あとは谷川の清水と標高が絶妙な味を付けてくれる。家庭に帰ってからの山菜料理のなんと味気ないことか。
天ぷらの候補選びは容易である。個人的には王者は浜アザミと思う。ツワブキの葉柄もうまい。蕗も同じである。例によってあく抜きなどは一切しない。
ついでウコギ科の登場となる。ウド、タラ、コシアブラ、タカノツメ、ウコギ、ハリギリいずれも秀逸。ぎと味が春を演出する。ウドやタラは夏になって花の時も絶好の天ぷら材料となる。
この章では、キク科は何でも有りである。ヨモギ、アザミ類、ハルジオン系統、野菊系統、タンポポ類、苦いのえぐいの寄っといで。が、セイタカアワダチソウはどうにもいけない。すこぶるまずい。あく抜きによっては喰えると思うが、まだそこまでやってない。
このほか個性のあるうまいものどもを集めてみると、イケマ、(これがいけま!こくがある)ガガイモ、ツリガネニンジン、ツルニンジン、いずれも折り口から白い液が出る。ニンジンというからには、例の立派な形の根があるのであって、中でもツルニンジンの根を焼いて食うと珍味だと白土三平氏の本に書いてるがまだ試してない。
天ぷらには、花食い分野がある。すみれ、ツバキ、フジ、ニセアカシア、ニワトコ、サクラ、春蘭、ミツバウツギ、ウド、カタクリ、カンゾウのつぼみ、ワサビなどである。ニワトコのつぼみは、カリフラワーもどきで簡単に沢山取れる。それで山菜を食べる会を催すと、これを食い過ぎる輩が必ず出る。食い過ぎると下痢をする。20人に1人がこれにあたるから、確率5%である。さしたる症状でないので気にしないことにしているが、年寄りや子供が相手だと気を使う。ともあれ、花食いは夏の山菜のない時期に使えるので重宝する。カンゾウのつぼみが簡単に採集できて良いが、他のユリ科は、どうも繁殖力が弱いように思えて、アマドコロやナルコユリなど(これらは新芽食い)はあまり食わないことにしている。
話は突然飛ぶが、秋に利用できる数少ない山菜にウワバミソウとジネンジョとこれのムカゴがあるのを付け足しておかねばならない。
さて、最終章はまとめと諸注意である。
まず、お目にかかりたくて、なかなかお目にかかれない秀品に、ギョージャニンニクとクサソテツ(こごみ)がある。前者は未だ遭遇せず。ミヤマイラクサ(あいこ)も気になるが四国には無いらしい。どなたか情報を入れてくれ。
次に王者を決めなければならない。ならないことはないが、あった方がおもしろい。さるの感性で勝手に選んでみると、ダントツで一位はジネンジョである。すりおろして醤油で食うのも、とろろ汁にしてのぶっかけも、すまし汁へ団子にしても、その絶妙、しばし息を呑む。
裏切られたのが、スズタケのタケノコ。土佐のネマガリタケよろしくゆがいてみたがいけなかった。失敗では、浜ウド。摘んでラーメン方式にしたが、これはとんでもない苦いラーメンになった。初めての試みは先ず少しかじってみることを習慣づける。この行為で相手が何者か、何向きか瞬時に判別できる。
さて、ある時ユリ科のエンレイソウとツクバネソウを、いかにもうまそうなので天ぷらにした。これが濃い味でいける。帰って調べたらどうも毒草。嘔吐や下痢をするとでている。少量であったためかそのような症状はでなかったが、勘を頼りの山菜グルメはやはり危険である。
それで終章は、危ない山菜の諸注意である。四国の山野で最も危険はトリカブトであろう。紫の花はみんな知っていることと思うが、幼少のころの萌え立ちは、食欲をそそる趣がある。山菜をやるには萌え立ちを覚える必要がある。
毒草にしろ毒キノコにしろ一度目はなんでも食える。四国で二度目を喰えない唯一のものがトリカブトである(レイシンソウを含む)。逆に解せば死に至る猛毒はこれ一種と割り切ることもできる。そう思えば出発できる。山菜ではないが危ないものの代表としてジギタリスとコンフリーの鋸歯のあるなしは、山菜屋の常識として覚えよう(鋸歯有り=ノコギリは切れる=危ない=ジギタリス)。しかし死なないまでも、七転八倒もいやである。このクラスの筆頭がハシリドコロか。これもいかにもうまそう。特徴のあるナス科の花は覚え易いが新芽は、これも意識して体得する必要がある。ギボウシとバイケイソウの芽立ちを間違う人の気が知れぬが、入門者はこれも注意を要する。木ではシキミとツルシキミの実を記憶に留める。毒ウツギや毒セリは四国にないから識別の必要はないと思うが、毒性が強いので一応記憶しておくと良い。あと、キョウチクトウ、ヤマゴボウ、ケマン類、クサノウ、キツネノボタンくらいを覚えて、とにかくぐうたら山菜ワールドヘ出発する。時は春。そこは、「日本にはアトピーの子供が沢山いるがフィリピンにはいない」という文明の弱点を超越した野生の世界である。
次回のぐうたらシリーズは、その2「山海の珍味蛋白質ノート」である。乞うご期待。