そのⅡ-1 山海の珍味:「蛋白質ノート(前半)」
さて、シリーズ第二弾は蛋白質である。植物体にも蛋白質はあるが、ここでいう蛋白質とは、動物の肉のことである。これを総称して蛋白質と呼ばしていただこう。この類は山頂から深海まで、ご承知のような無限の世界で、昆虫、みみずの類、鳥や獣、そして魚や甲殻類、貝類など、400万種ともいわれる地球動物が全て対象となる森羅万象の世界である。森の案内人といえども、その徘徊する領域を森に限定してはつまらない。特に高知の野外は、山、川、海に恵まれた蛋白質のパラダイスである。これを楽しみに加えることで森の案内は一層味わい深いものとなる。
森の案内人の機関誌であるから、先ず入門は、山の蛋白質から始めよう。山の蛋白質で、先ず思い当たるのは、メジロの丸焼きである。あの可愛い小鳥で恐縮だが、昔は骨ごとかじった。実に丸かじりに最適のサイズであった。頭が特に旨かった。動物の肉では一般に植物質の食性のものがいい味を持っている。木ノ実や花の蜜を餌にしているメジロは、これらの化身であることを舌で堪能できた。現在はメジロの捕獲は御法度であるから、二度とお目にかかれぬ点がなおいとおしい。
蛋白源としての鳥類にもう一種ある。スズメである。メジロほどでもないがいい味をしている。これは鉄砲撃ちに頼まなくても捕れる。春、若鶏の巣立ちの頃、コミと名付けた雌猫は、一日に5羽も捕ってきた、ある時広いレンゲ畑の中で、はぐれた子スズメがしきりに親を呼んでた、そこにコミを連れて行って、投げ込んでみると、着地と同時に彼女は雌ライオンの獲物を狙うあの動作で、しなりと近づき、くわえて出てきた。それやこれやを加えて、獲物の調理は私がする、毛をむしって、はらわたを抜いて薄塩で焼く、頭とスネから下はコミにやる。胴体は私で骨ごと丸かじり。その芳醇、しばし嘆息して猫使いを自己嫌悪する。スズメは狩猟鳥獣だから法的にも問題ない、森の案内人は猫まで利用するのか。
メジロは法的に喰えないが、カラスは喰える。ただ、世間ではカラスの肉は喰えないとした習慣がある。ある時、ふと、なぜ喰えないかが問題意識として芽生えてきた。それがむくむくと大きくなって払拭できないから、近所の鉄砲撃ちに頼むと、3羽を赤むけにして持って来てくれた。さて、それから近所の飲み肋を呼んで、カラス鍋パーティーとなった。すき焼き鍋の頃はうまいと順調であったが、炭火焼きの頃になると、妙におかしい、なんだかいやだ、これは何だ、と飲み助どもが騒ぎだした。気が付くと、部屋中、体からもある種の臭いが強烈に発散している。その臭いは、あれだ、あれよ、ほら、あの臭い、猫のオシッコそのものでないか。それから、しばらく体から発散するこの臭いにまいった。しかし、世間は広い、カラスはうまいと言い切る食通にその後会った。新潟県のどこかでは、カラス鍋なるものが村越しのメニューにあるそうな、要は調理でいかに血をうまく抜くかにあるようだ。動物を調理するときの大原則をおろそかにしてこのざまだった。ちゃんとすれば銀座のカラスや夢の島に群がるゴミのカラスなど、それぞれにいい味がするかもしれない。とにかく将来の食糧危機の時には十分いける蛋白質であるから、森の案内人としてトライしてみてはどうだろう。
ついで、鉄砲撃ちに頼んだのは、サルである。これは、熱帯地方では黒こげの丸焼きを青空市場で良く見かける、ピグミーなどは重要蛋白源としている、が、日本人は人間に似ているとかで相手にしない。これを頼むと、近所の鉄砲撃ちは流石に優秀で有害鳥獣として駆除したものを持ってきてくれた、これはすき焼き鍋で十分に美味しい。脂肪分のほとんど無いさっぱりした旨さで、外見で嫌わずもっと積極的に喰らうぺき親類と思う。で、同じ霊長類で人間はどうだろう。キャンプでは、絶対に火傷をする。何回キャンプをしても必ず火傷をする。火傷をしなくなったら超ベテランか、つまらないキャンプをしているかのどちらかである。だからキャンプに必須の医療薬は火傷の薬で、これに毛抜きがあれば合格である、ある時、コンロのゴトクで人差し指をジュっと焼いた。指先に焦げ目がはいって、周りは白くなってかなり焼けた。痛いので咄嗟に口に含んだが、瞬時に旨いと思った。究極の味というほどとは思わないが、雑食性の我々は結構いけるのであろう、森の案内人はキャンプでの火傷も決しておろそかにしてはならない。
さて、そろそろ本題に入る。キャンプは、食料を現地で採集して、採れたてを喰らうのが最も贅沢なやり方である。このための山菜シリーズであり、蛋白質シリーズである訳だが、手軽にこの目的を達成するに魚類は欠かせない。山でのキャンプでこの筆頭は、モツゴ(標準和名はアブラハヤ)である。こいつは、本県の山間部の小浜にはあまねくいる、しかも飯粒で釣れる。皿なんぞはその辺の青竹で十分、これも現地でまかなえる。あまり大きくはならずヌルッとしているので、嫌う人が多いが、味は秀逸。天ぷらに最適である。はらわたをとって後は、草の天ぷらと同じで、旨くてあてになる貴重な蛋白資源である、さらに、このモツゴは5月ごろが産卵期で、この頃握ると、雄は精液をぷっと出して暴れる。雌も腹いっぱいの卵だ、丁度この時期、これを餌に、延縄をやる。直径2mmくらいの綿糸に石をくくりつけ、その先にケブラー(宇宙船用素材で切れにくい)の6号で針を付け、モツゴが生きているように口刺しにして谷川の淀みに放り込む。夕方、15本も仕掛けて待てば、翌日は朝からウナギの蒲焼き三味である。かつて翌朝の不急は2回しかないので、捕捉率は100%に近い。アメゴ域の清例な渓流でとれるウナギは世間のものとは全く別物であることが解る、
このほか現地採集のできる魚類には、イダ(ウグイ)やハヤゴ(カワムツ)、シラハヤ(オイカワ)がある。これらはその気になれば簡単に釣れる。調理は天ぷらが手っ取り早い。イダは時々30センチ超えの大物が釣れるが、これは腹を裂いてフキや山撤の葉、セリなどを詰め込んでムニエルにする、ゴージャスな料理になる。アメゴとてイクラとミミズで攻めれば、食欲であるからいとも簡単に釣れる。この魚は、骨がすこぶる旨い。頭部の脳味噌や骨格はすこぶる甘い、だから10から15センチのものが喰うに最適である、同じように、なんでも魚は、特に刺身は、15センチ前後の小さいのが旨い。いわゆるその年の新手(しんこ)で、これのサバとマグロは絶品である、さらに最高はメジカ(ソウダガツオ)の新手で、スダチと合わせば高雅というか精妙というか天上的な逸品で捻ってしまう。なんでも大きいのが良いとは限らないのである。
川魚で最後に登場するのはゴリである。ゴリは、どの川にもいて、遊べる。網戸の網で作った例の三角形のタモを川上にセットして、5メートルくらい下に5人程が並ぶ。人はもっと多ければ尚良い。互いに手をつないで足踏みをしながら追い込むとビチビチ摘れる。この漁法は連帯感が出て案外愉快である。少しつつ場所を変えて10回ほど繰り返すとおかずとしての量を確保できる。調理の秘訣は、獲物を殺さないことである。残酷だが、生きたままうどん粉の中に跳ねらせて、天ぷらにする。踊り揚げである、
もう一つ山間部で重宝するものに赤い子がある。いわゆるサワガニだ。キャンプで深夜まで酒を飲んで、すべてを喰い尽くして、それでもまだ酒の肴が欲しい、そんな時、サワガニにお世話になる。このカニは、谷川の、先に調理場にしたあたりで、魚のはらわたなんぞに寄っている。これを捕まえて串刺しにし、遠火でじっくり焼く。ジストマが宿るからさらにこんがり焼く。これを殻ごとかじるとなんとも旨い。これもどこでも絶対手にはいる。細川町の老人クラブが一匹1円で集めたものが、赤坂の料亭では500円もするそうだ。
さて、海だ。海は、外から眺めていては万分の一も理解できない。潜ってこその海である。潜ったら、そこはまさに蛋白質ワールドである、ある時、ムツゴロウ(畑正憲)の本の中に、「伊豆の大島で、アワビや伊勢エビには見向きもしなかったが、石垣フグはよく食った。」の一文を発見し、それから以降伊勢エビよりうまいらしいこのフグ探しに没頭した。魚類図鑑を何冊も買って、いろいろ調べて、潜って取ってを繰り返し、どうもこれだ、これに違いない!の域に達したのは1年くらい後だった。で、最終選考に残ったのがいわゆる「提灯フグ」の刺の短いタイプである。無毒のフグで、普通はサッカーボールくらいの大きさで、これを解剖すると、ボールの中身は柿色のレバーばかりで、青々しい。このレバーを味噌じ立ての鍋にするのだから、極めて危険な料理に見える。で、例によって近所の飲み助どもを、フグ鍋に招待した。まず、さばく前の姿を見せ、分解して背骨沿いにある少しばかりの身を刺身にして、残りの頭と骨はぶつ切りにして、レバーとともに味噌鍋にぶっこんだ、さあ、これが究極の極うま料理だと振る舞ったが、みな後ずさりをするばかりで、誰一人箸が出ない。結局、その日食べたのは責任感の強い私と、後から加わって何も解ってない近所の奥さんの2人で、この二人が明くる日生存していたことから、やっと食い物として認知された。料理はその体形が涙型で爆弾を思わせることから最終兵器と名づけた。室戸の沖の堤防でこれが釣れたので、さっそくその場でさばいて、ラーメンに入れて喰っていると、地もとの漁師があきれて、為餉はそれを喰うと生きて帰れないと本気で忠告してくれた。しかし、その後沖縄ではアバサー汁としてこの料理があり、石垣フグは魚屋で売っているのをテレビで見た。味はえも言われぬというところで、体験あるのみ。こいつのこの場への登場の理由は、誰でも突けるところにある。水深2メートルくらいの大岩の下でのんびりしていて、捕獲はワキャー無い。あてになるのである。
続いて、もう一種これに似た存在価値のある魚にハコフグがある。四魚形のこれものんびりしたフグで、愛矯のある顔をしている。これも素人がモリで捕獲できる。そのまんまを金網において焚き火で焼く。油があってもうもうと煙がたつ。外側が黒こげになったところで、腹を割って中の身とレバーを食べる。フグだから旨い。外側の皮には少々毒があるので食べない。これも後ずさりをする人が時々あって、酒の席を楽しくさせるしろものだ。
海でのキャンプにもってこいの魚で三番目はベラである。何処の海にもいて、これもあてになる。あの青い南方系の色をした一見旨そうにない奴である。食欲で子供でも簡単に釣れる。だから、たいていの釣り師は餌取りと称して軽蔑し放り棄てるが、これを後ろに回って悠々と拾う。あくせく大魚をねらう釣り人を逆蔑視して堂々と拾う。これは醤油味の煮付けにすると「おっと」と思う意外な旨さが広がる。ベラに代表してもらったが、ベラの仲間や、イシモチ、メゴチ、ミナミハタンポなど釣り師の眼中にない餌取りは、ぐーたらで野外を楽しむには最適の素材である。ぐーたらの神髄は、何処にでもあって、簡単に手に入り新鮮なうちに利用できることにある。
(貝類と昆虫、その他を残したが、紙面の都合で、以下次号です。)