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視覚障害のあるなしに関わらず友に山の仲間として野遊びを楽しむ

四国ポレポレ山楽会

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サルのぐうたら野外シリーズ

~ 山海の食い物、登山、キャンプ、野遊び ~

森林インストラクター:塚地 俊裕

(注) 「サル」とは、私のあだなである。

 この『サルのぐうたら野外シリーズ』は、会員の塚地俊裕さんが、『森の案内人クラブ』の機関誌に連載している原稿を、本人の了承を得て掲載させていただいているものです。
 塚地さんどうもありがとうございます


そのⅡ-2 山海の珍味「蛋白質ノート(後半)」

 ある昼時、土佐屈指の美渓である瀬戸川渓谷の源流部で、いかにも水の旨そうな支流を見つけたので、その道端でさっそく昼食の準備にとりかかった。メニューは例によってラーメンである。領石のAコープで買った、チャルメラ5個にダシのアサリ貝を2パックと焼きブタ1ブロック、これに途中の道端で手当たり次第に採取した薬味のミツバやノコンギク、ツリバナ、イワガラミなど野生の新芽を放り込んで早春ラーメンにするつもり。メンバーは3人。若い2人は谷川で鍋と食器を洗いに下りた。私は、路上を食卓にして、それらの食材の入ったスーパーの袋を車から降ろし、コンロの鍋え、火をつけようとマッチを探った。そのとき、対岸の切り立った薮を、何やら黒い獣が音を立てて駆け登った。咄嗟のことで、黒はカモシカだと希望的に判断し、その下手に走り寄り、久しぶりのご対面を楽しもうと目を凝らした。見ると、それはメスの猿だった(メスと思う)。わざと木をゆすり、小石をけり落として、こちらを挑発している。ふん、猿か!と落胆しラーメンの仕込みを続けようと振り返った。と!、そこに、路上の我が食卓に、もう一匹大きな猿がいて、そいつはスーパーの袋を、今日の昼食の全てをひこずって逃げて行くではないか。ひっかかった。猿の陽動作戦にまんまとひっかかった。対岸のメスは囮だったのだ。私は自らの空腹と2人の食の恨みを思い、瞬時に青ざめ、大声でどらび、全速で猿をおわえた。オラー、だったか、ドロボーだったか日本語にならない罵声を発し狼より猿だった(のちの食器洗いの2人の証言による)。喰敵の猿は、食料を70メートルばかりひこじった後、人間の猿のあまりの狂暴性に恐れをなしてか遺脇に食料をあきらめ、谷側の木にハイジャンプして避難。後悔で顔を真っ赤にして歯をむき出している。危なかった。危機一髪の所で昼飯がもどった。その日のラーメンは、ありつけるのとありつけないのとではこうも違うのかと解る格別の味がした。食は有り難い。しかし、最悪の事態は起きた。この日以来、私は猿である。「さる」と呼ばれることとなったのである。悲劇は今も続いている。で、この「さるのぐーたらシリーズ」である。今回は蛋白質編の総仕上げで、いろいろ抜けているのがあって混乱しているが、舞台を前回の続きにもどそう。海の蛋白質の続きである。貝である。
 土佐の海岸線は700キロもあり、そこに、何時の頃からかテトラが入った。山で、治山や砂防堰堤で土砂をせき止める。川で海で砂利を採取する。そうしてこの海岸線の砂利浜が細る。で、浜という浜にテトラが入った。テトラは危ない。遊泳や遊魚には危険地帯と認識されていて一般人は近づかない。専業者もあまりあてにしていないようである。が、だからこそそこは、蛋白質の宝庫である。アフター5にチョチョイノチョイでやれる気軽な穴場である。
 ここでの代表は、カキ(牡蠣)である。テトラのカキは一般人には想像を絶する代物である。大きいのだ。サイズは男の両手の親指と人差し指でだ円を作る、それと同等サイズである。中身はたっぷりとあって、まー5つも喰らえば満足の域に達する。一般にカキは冬のもので夏場は毒があったりして食べない。土佐は違う、ここのは夏が旬である。6月の下旬になると、ぷりぷりと身がはいってきて、これが秋まで続く。逆に冬は痩せていて、あまり相手にしない。なにやらしもに効きそうな豊満な味がして澄刺となる。これが、テトラの沖側全体にあまねく付いている。それを大きなバールで剥がすのだからワキャー無い。水深は2メートルだ。
 もう一種テトラに付いていて重宝するのがクボである。和名をベッコウガサという。ヨメガガサの一種で、いわば陸上のあわびだ。これも、相手にする人はほとんど無く、水から出ているから五十や百を取るのは朝飯前だ。こいつは、貝から身を剥がして刺身で喰らう、フライパンでレアに焼く、炊き込みご飯にするなど、料理屋では絶対お目にかかれない逸品となる。味は潮の香りの化身のような。良く観察して欲しい。土佐のテトラにはこれがぎょうさん付いている。誰も相手にしない幸運を少し味わってみてはどうか。このテトラには、このほかにも、冬の昆布や、沿岸性の魚がいる。チヌ、スズキ、ガシラ、ヒダリマキをはじめ、あの幻の魚といわれるコウロウやアカメの大魚、前に書いたハコフグなど、私の潜りの先生クラスの達人には選り取り見取りで、先生曰く、テトラは私的な太平洋であるそうな。
 次に、貝類でぐうたらの最高峰はシイである。標準和名をムラサキインゴガイという。フランス料理のムール貝の類で、表磯の岩の上にびっしりと付いている。カラスの噴のような色と姿をしているこいつを、小さなトウ鍬で30kgばかりこさいで来て、白ワインで酒蒸しにすると、絶境というか絶佳というか、白くてぷっくりとした貴婦人のような味がする。ごていねいに上の方に毛が付いていてそっくりそのまま。この毛は実は根っこで、これで荒波に抗して磯に張り付いているのである。私なんぞは、この貝は、2ヶ月も喰わないと夢でうなされる。無性に喰いたくなるのだ。取ってきた日は、もちろん、翌日も朝から白ワインで、喰っては飲み、喰っては飲みの小原庄助を実践する。喰い飽きない味なのだ。
 もう一つ同じところにある貝で、ぐうたらスタンダードに入れるべきものにカメノテ(亀の手)がある。これを土佐では先のシイに対してハカマジイという。こいつはもっと一般的で、あの甲羅の中のピンクの肉に日常にはない野生の味を堪能している人も多いはずだ。土佐の海は、少し体を動かすと、豪華な蛋白質にありつける。想像するに、ここいらの縄文人は、貝をメインディッシュに、豪勢な晩餐会を夜な夜な繰り広げたに違いない。
 さらにテトラの近辺を4メートルも潜ると、土色のナマコ(海鼠)がいる。これを喰う習慣はこの辺にはないから、これも独占状態である。最初は図鑑で調べてエイ!毒はないはずとばかり少し喰ったら、これが潮の香りそのもので県外の店頭で売っている代物より少し堅いがいける(県内にはナマコは店頭で売ってない)。正確な種名は今もわからないが大根おろしで和えてぐうたらの定番となった。
 地元で喰らう習慣のないものを、本や図鑑などを頼りに開発すると、これは競争相手のない劫初の世界となる。ぐうたらは、ここに着眼しなければならない。図鑑から調べて定番となったものの一つにシラヒゲウニがある。そもそもは生物図鑑に喰えると書いてあったのを、いつもの懲りない好奇心で、水深4メートルくらいから採集して、磯の上で中身を取り出し、潮で洗って喰ってみると、ウニの味が口いっぱいで、大発見。このウニは、南方系で大きいのはハンドボールくらいあって、中身もちょうど明太子と同じくらいのサイズでジャンボだ。疎反動物だからそれが5個も入っている。地元では喰う習慣がないから、パイオニアの頃は、高知のサンゴのある海域にごろごろあって、豪快なウニどンブリに耽溺した。なぜか女性どもはことのほかこれが好きである。ウニやナマコは逃げないからあてになる。ぐうたらは、あてになってかつ豪華でなければならない。
 海にはまだまだ未練があるが、終わらせねばならない。ここで少し海潜りの基礎を書いておく。潜りには道具だ。先ずはシュノーケルと水中眼鏡で、これはそれぞれ3千円程度。ついで足ヒレである。手はモリやノミを使うから推進力は足だけでやる。で足ヒレが絶対いる。1万円くらいだ。そして、ウエットスーツがいる。5ミリか8ミリかの厚さで、冬場をしないなら3ミリが使いよい。これがないと体中怪我だらけになる。クラゲやウミシダにやられる。これも1万円くらい。それに重りの鉛バンド(3千円くらいか)を付けて完成だ。あとは入水だ、最初はゆっくりと好奇心にまかせて浮遊する。凪いだテトラは恐いものではない。私的な食料庫とするかどうかはあなたの行動によってのみ決まる。森と海は同じ生態系で境目がないことが次第にわかってくるはずだ。
 さて、少し急ぐ。次は昆虫である。猿はバッタが大好きな動物だが、人間でもイナゴは旨い。イナゴは稲刈りの最後にまとめて捕れる。今の稲刈りはコンバインで田の縁からリンゴの皮を剥くように中央に向かって刈って行くから、最後に田圃の真ん中にコンバイン幅の稲穂の島ができる。稲にいたイナゴの多くは縁から攻められ必然的にこの島に集中することになる。この時イナゴのうじゃうじゃ状態になるので、コンバインをしばらく止め、イナゴの収穫にかかる。手で捕まえてビニール袋に放り込む。イナゴは口から茶色の分泌物を出して抗議にかかるがかまうことはない。調理は簡単。イナゴを竹串に10匹ほど横並びに突き刺して、炭火でこんがり焼く。旨そうなキツネ色になったところで、醤油を付けてかじる。足や羽根が気になる輩はそれをむしり除けて食べる。香ばしい味がして感激する。イナゴは稲の化身なのである。
 昆虫はやはりゲテモノがかる。アメゴ釣り仲間の友人Mは、釣れないとなるとすぐ岸辺の柳の幹を又裂きにかかる。そしてなにやらいかがわしいものを集めてまわる。白くて堅い芋虫のような虫で、これが噛みきり虫の幼虫である。昔はこれがおやつだったと自慢(?)の一晶で、蠢いているときはおぞましいが、火であぶるとピンと真っ直ぐになってまるで象牙の釘のようになる。これも香ばしい味がしてビールのつまみにはもってこいである。ヤナギ以外には、アカメガシワの木に穴を開けている種類が大きくていい、この虫は、イタドリ虫とともに山での遭難の時の食料として最適と思えるので体験しておいたらいいと思うのは、よけいなお世話か。
 昆虫の最後は蜂である。スズメ蜂は悪くて相手にしなかったが、人家の屋根瓦の間に巣くう小型の蜂とは良く遊んだ。蜂の巣から数匹づつ追い出してバトミントンのラケットでたたき落とす。思わず全集団が飛び出してきたりして、たたき損ねると刺される。そのスリルが最高の快楽で、瓦の上を本気で駆け逃げるが、それでも瞼(まぶた)や耳をよく刺された。落ちついて処理すると30匹も始末をすれば巣は空っぽ状態となるから、直接手で大事に取り出して、その子を生で丸飲みにする。見かけはグロだが味は滋味である。そのまま脳味噌に効きそうな味がする。
 さて、ここから先はゲテグイの世界となるから、森の案内人の紙面の品格を落とさないためにもこのあたりで蛋白質をご勘弁願おう。で、終章のまとめである。玄人は、蛋白質は捕れたてよりも何日か寝かしたほうが、アミノ酸が変化して旨いとおっしゃる。鰹は明くる日、イカは二日目、牛は一週間後、シカに至っては腐りかけが最高という。しかし、これは流通屋のいうことであって、こんなデタラメを信じてはぐうたらの資格はない。鰹は舟の上が一番旨い、イカは生きて足がまとわりつくうちが言い。牛は賭殺場での間近の刺身が忘れられない。神祭で無理矢理喰わされた新品のブタの刺身は牛を遥かに超える味だった。ぐうたらに定石はない。自分で試して、試せる範囲でいけると思ったものをただ喰らうだけである。お希有り難くいただきます。
(次回第三弾は木の実や海草なのか、野外遊びかキャンプ術なのか不明であるが、乞うご期待)