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視覚障害のあるなしに関わらず友に山の仲間として野遊びを楽しむ

四国ポレポレ山楽会

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サルのぐうたら野外シリーズ

~ 山海の食い物、登山、キャンプ、野遊び ~

森林インストラクター:塚地 俊裕

(注) 「サル」とは、私のあだなである。

 この『サルのぐうたら野外シリーズ』は、会員の塚地俊裕さんが、『森の案内人クラブ』の機関誌に連載している原稿を、本人の了承を得て掲載させていただいているものです。
 塚地さんどうもありがとうございます


そのⅢ 「野外熟睡術入門」

 喰って寝る。これが生の基本である。これは疑う余地がない。この2つ以外はいわば余分であり付け足しである。で、サルのぐうたらシリーズ、食の次は「寝る」である。「世の中に寝るより楽はなかりけり」であり、人生の1/3は眠らなければならないから人間とは幸せな生物だ。人生を75年とすると四半世紀は寝て暮らすのであった。
 さて、熟睡とは何だろう。フランスでは事いっときの後の一時のまどろみを「小さな死」と呼ぶそうだが、これを究極の熟睡だとする説がある。ぐうたらは、ここでフランスごときに退いていてはいけない。究極の睡眠はこれに野外という因子が必要であるからだ。そして野外でも土に近いほど安らかな眠りになる。天地の摂理に従えば生の行き着く先は土である。これが土に近いことが究極の眠りとなることの証左である。
 さあ、春だ、春眠だ。暁から寝てしまえ。
 木の芽時、何やら体の奥から野生が騒ぐ、空気に雌雄の精が飛び交う。野生の赴くままの熟睡、これが今回のぐうたらシリーズのテーマである。
 で、入門は、まずバッグワームピクニックであろう。バッグワームとは蓑虫(みのむし)のことである。蓑虫ピクニックとは、何なのか?寝袋を2つ持って(一つではない)、それにビスケットと紅茶を持って山桜の咲いている当たりに向かう。いかにも春らしい日溜まりを見付けて、桜の樹の下で寝袋に入ってただ眠る。一日中うだうだとただ眠る。あるいはただ寝るだけである。メンバーは2人、雄と雌。それ以上でも以下でもいけない。そして豪勢な食事など、ややこしいものを持ち込んではならない。野草の天ぷらなんぞはもってのほか。ぐうたらでなくなるのだ。どうしても退屈しそうなときは好きな本を1冊だけ持って行く。そうしてぐうたら眠る。これがバッグワームピクニックである。
 ただ寝ていると、いろんなことが起こる。移動していてはなかなかお目にかかれないことに遭遇する。例えば小鳥が、何の警戒もなしに近くで遊んでくれる。例えばイタチが風のようにやってきて、目を合わせてもさして気にする様子もなく、一時をにらめっこしてどこかへ消える。例えば私ならコナラの林でドングリの落ちる音が聞き取れる。風の音、けだる染まりそうな新緑、気怠い花の香り。そんな静かな時の中で、狙いの獲物は顔だけ出して無防備である。両腕にくるんでしまえば、蓑虫である。そんな時決まって蓑虫はのたまう。
 「私ってあんたのなんなの?」
 雄の動きが止まる。答に窮したまま、虫の羽音を聞く、大地の香りがする。無冒…。ただ時間が流れ、そして究極の熟睡へと向かう。
 これが、バッグワームピクニックの基本彫である。どうだ、サルだろう。で、いろんな付帯のテクニックがあるが、その一つにターフの利用がある。湿気のある地面に敷くのがみそである。雄はさりげなく下を自分の場とする。寝袋はターフの上では良く滑る。しばらく寝ていると、上から雌が滑ってきて、密着状態となる。で、この後、森の案内人としての本当の力量が問われるのである。森の土はしっかりと体を受け止めてくれる。心地よい。
 おっと紙面がない(1000字だって)。このつづきはいつかどこかで。乞うご期待!